今日からフィリピン第3の都市ダバオに滞在している北川哲平です。
ダバオはドゥテルテ大統領の出身地としても知られてますが、今から約100年前、アジア最大級の日本人街があった都市でもあります。
時は明治時代、
移民政策で数万人の日本人がダバオに移住
太平洋戦争での日本軍の侵攻によってダバオは激戦地となる
戦闘で死亡する者や帰国するものが続出
フィリピン人家族だけが取り残される
戦中に日本兵から非人道的な行為を受けたと、戦後の日系2世は激しい差別と迫害を戦後数十年以上に渡り受け続ける
大半の日系人は日本名や出生証明書を捨て、日本人の親がいる事実を闇に葬る
同時に多くの日系人家族は母子家庭となる
貧困のため教育を満足に受けることができない
現在でも多くの人々が山村に暮らし、困窮した生活を送る
21世紀のフィリピンとフィリピン日系人の未来のため2002年に内田あや子教育基金でミンダナオ国際大学が設立される
そこでは日本語や日本の文化、習慣、歴史などを必修科目に持ち、起業家育成学科や社会福祉学科、情報技術学科など6つの学科を構える
そんなミンダナオ国際大学に、本日訪問させて頂きまして、授業見学など校内をご案内頂きました。
会う生徒全員が「こんにちは」と挨拶をしてくれて、前後の仕草や姿勢にも明らかに日本らしさを感じました。
ここでは日本人の作法や心を一から学ばれているとのこと。
このたび同校の掲示板に、当社の求人広告を載せて頂けることになりました。
英語を母国語に持ち日本を学ぶ彼らから1人でも当社に参加頂くことがあれば、とても嬉しい限りです。
会社の規模的にも力になれることは知れているかもしれませんが、同じ日本を愛する1人として日系人の未来の一助になれるなら、こんな素晴らしい話はありません。
会社が成長することが世の中のためになる。
これまでもその自負はありますが、もう一歩だけ広く大きく自分以外の誰かのために。
改めて事業に対する意識、モチベーションの高まりを感じる一日になりました。
ダバオで日本の心を感じた気分