北川は5人兄弟で、姉がいて、下に男4人の長男になるんですが、年が2つ下になる弟(次男)と昨日、15年ぶりに会うことができました☆彡
15年間、両親含め家族の誰とも連絡が取れず、生きてるか死んでるかも分からない状況でした(#^^#)
5人兄弟のうち、北川(長男)と北川(次男)だけ出来が悪く、何度も警察にお世話になるような、いわゆるグレてた時期がありました。
長男の北川は、何度目かの両親に警察まで迎えに来てもらう帰り際に、母親から「それでも哲平を信じとるよ」という言葉をかけてもらったことで改心させて頂きました。
父親からも当時「どうせ悪くなるなら、広島で一番悪くなれ」と言われましたが、これも母親の言葉と同じ意味だったということが今となっては理解できます。
それでも野球部ではキャプテンをやらしてもらったり、広島で一番良い公立高校に行ったり、グレながらもそれなりに要領よく多感な時期を送っていました。
2個下で同じ中学の野球部に、しかも同じ顔で入学してきた次男の北川は、周りから長男とよく比べられてました。(兄弟ですが、周りからはジュニアと呼ばれてました(#^^#))
2つ年が違えば同じことを同じようにはできないはずを、
長男である北川も、自分ができるのに、なぜお前にできない。
という態度で接していたと思います。
俺もやっとんだから、お前も勉強しろと、よく言っていた記憶がありますし、昨日弟に聞いたら、筋トレすら強制していたそうです(^^ゞ
なんで出来ないの?
なんで分からないの?
「ダメな指導者の典型」を兄として持たせてしまったこと、
後悔しております。
次男は広島で一番悪いと言われていた高校に入学し、そこを数か月で辞めてしまいます。
長男は大学に進学し、次男は職を転々としながら、その途中から家族の誰も連絡先が分からなくなり、15年も経ってしまいました。
彼の人生に、大いに、ないしは、幾分かの影響を与えた存在として、ずっと心に引っかかっていました。
起業して、今の道を進めば進むほど、過去の自分がいかに駄目だったか、償いきれない過ちをおかしていたことを悔やみ、考え込んでしまうこともあり、数日や長い時には数週間、寝込んで何もできない引きこもり状態になってしまうことも断続的にありました。
妻には心配をかけることも多々ありましたが、15年ぶりにでも会えて詫びの言葉をかけられたことで、心のつっかえが取れました。
弟から15年ぶりにFacebookのメッセンジャーに届いた文面は、本当に本人かと疑うほど、言葉遣いが丁寧で、配慮あるものになっていました。
長男の北川が投稿しているFacebookやYoutubeの動画が目に留まる機会があり、久しぶりに家族と会いたいと思ってくれたみたいです。
次男の北川は、今は関東に住んでいますが、広島と雰囲気が近い街があったので、そこに住んでいるそうです。
たまにGoogleストリートビューで実家近辺を見ては、街が変わっていく様を見ていたそうです。
建設業の職人として、認められた境遇で道を極めていっているようで、弟を慕う後輩もできているようです。立派になってます。愛おしく嬉しいです。
生きてれば、いろんな事ありますし、なかなか人に言えない事ってありますね。
例にもれずです。
北川家としての誇りを胸に、清々しく人生を送ります。
とんでもなく個人的な話でしたが、最後までご覧頂き感謝です<(_ _)>
久々の姿を両親も直接見てもらった方が良いので、弟の写真は撮りませんでしたが、要は顔一緒の気分