無念に殺された中村さんを悼み、死を意識する大切な誕生日にする件 代表北川哲平の諸々 社会福祉

 

おはよう、2019年12月16日。 (一応、ドバイUAE🇦🇪との時差は5時間です(^^ゞ) 今日で39歳になった北川です🎂 人生思い通りにならないし、 計画立てても計画通りにはならないんですけど、 1年後の自分は、今とは違うと定義しないと、何も変わるはずもなく。 そこそこ頑張っていると自負はありますが、 あらゆる点が不完全で、伸びしろしかありません。 今に満足し、慢心すると成長が止まり、 完成してきたと考えた瞬間から劣化が始まる。 人生を振り返りつつ、今後のビジョンを見つめ直しているのですが、 今月4日の、アフガニスタン🇦🇫で襲われた中村哲さんの訃報があまりにもショックで、悲しくてたまりません。 かねてよりメディアで拝見し、北川が貧困地域の支援をしたいと考えるきっかけになった方でした。 1986年、医師をしていた中村さんは、医師がいないアフガニスタンの山岳地帯で医療支援で入ったものの医療どころの状況ではない。病気を治すんじゃなくて、病気にならないための環境を整えるべきと、 それ以来、2019年に至るまで。 自らも重機に乗り、井戸や用水路などの建設を続け、荒れ果てた大地に水を送り、食料が確保できる地域を広げる。 アフガニスタンは、イギリスに統治され、その後パキスタンに軍事併合され、ソ連に軍事進攻されるなどなど、歴史的にも無茶苦茶で、タリバンやアルカイダが誕生した国で、今でもイスラム国が活動する場所でもあります。 北川にはその勇気はまだ持てないです。 怖くて近づくこともできません。 でも、中村さんは、 「みんなが泣いたり困っているのを見れば、誰だって『どうしたんですか?』って言いたくなる。そういう人情に近いもんです」 だからと言って、あまりにも長い期間。 これまでも身に危険を感じることもあったみたいで、本当に治安が悪くなれば、場所を変え、変えたその先でまた同様の支援を繰り返し、アフガニスタンとパキスタン🇵🇰の山岳地帯をあちこちと。ずっと支援を続けてこられてました。 本当くやしいのが、今回についても関係筋から、最上級のアラートが事前に出ていたみたいですね。 中村さんは、生前にこんなことも言われていました。 「悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考えぬいて、諦めないことが大切。決めつけない素直な心を持とう」 何を言われても、何をされても、こちらは相手を裏切らず、信じる。 それがマイナス発信をする人との関係性を構築する唯一の道。 ただ、時に退避は必要ですし、 許せるだけの余裕をいかに持ち合わせるかも大切だと理解しています。 こちらからは承認、感謝、愛を相手に与え続けることで、良い信頼関係が構築される。 関係性が良い。その相手を攻めようとは思わなくなり、結果として平和になっていく。 . たかが北川ですが、中村さんの信念に共鳴している一人です。 アプローチは違うものの、 フィリピン🇵🇭から、貧困地域の支援を小さく始めています。 誕生日を前に、里親制度で支援させて頂いているニコールからも、誕生日のお祝いメッセージが届き、嬉しみを感じてるとこです(^^) まずはフィリピン、セブ島の貧困地域の子どもたちからですが、意欲のある子どもたちに日本では不要になった型落ちのパソコンを届けて、経済的自立に繋げてもらう活動を行っていきます。(あなたにとっては不要になった、まだ使えるパソコンがございましたら、お声がけ頂けると幸いです<(_ _)>) これから北川の夢は、貧困地域の子どもたちに起業支援を行っていくことです。 自立による個人やその家族の貧困を解決するだけでなく、雇用を生み、地域の貧困を解決するHEROとなる起業家を支援していきたいです☆彡 そしてその取り組みは、地域の貧困解決だけにとどまらず、 そのビジネスをきっかけに、国や地域をまたいで人と人とが関係性を構築されていき、 その関係性を線で結んだときに、その線の集合体が地球の形になるようにしたいです。 そしてその仲間たちで集まれる場があれば最高。 死ぬまでに。死んだ後に何を残すか。そこから逆算して、 39歳の一年間を精進していきます。 これまで以上にONとOFFの時間にメリハリを持たせ、 ONの時間には、掲げた改善に対する努力と挑戦を惜しまず、 OFFの時間のための、ONの時間であることを忘れず。 生かされている時間を大切にします。 中村哲さんのご冥福をお祈りいたします。